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両丹日日新聞2009年7月29日のニュース

ソ連抑留中に死亡の男性、64年ぶりに妻子眠る古里三和へ

俊一さんの遺影■DNA鑑定で遺骨の身元判明■
 
 旧満州(中国東北部)へ出征し、終戦後、旧ソ連の収容所に抑留され、現地で没したままとなっていた福知山市三和町台頭出身の山本俊一さんの遺骨が、終戦から64年ぶりに、妻子の眠る古里に戻って来る。
 

 厚生労働省社会・援護局が、ソ連抑留中死亡者遺骨収集で持ち帰った遺骨のDNA鑑定をし、綾部市岡町在住の実弟・山本正さん(79)らが提供したDNA資料と照合した結果、判明した。
 
 遺骨は、30日に府を通じて正さんの元に届けられる。その日に俊一さんの生まれ育った台頭の山本家に移され、親族が集まっての法事のあと、引き揚げ半ばで、先に命をなくした妻子が埋葬されている墓地に納骨されるという。
 
 俊一さんは、1912年(明治45年)4月1日に山本家の8人兄弟姉妹の長男として生まれた。歩兵第277連隊に所属、若くして満州に出征し陸軍中尉まで務めた。41年(昭和16年)に、隣村の大原出身の吉見美智子さんと結婚するため一時帰国し、新妻を連れて再び満州へ渡り、そのまま古里に帰ってくることはなかった。
 
 親族らによれば、美智子さんは2年後に長男出産のため一時戻ったが、すぐに俊一さんの待つ満州へ帰った。その後、長女を45年1月に出産。終戦を迎え、母子3人で引き揚げる途中、相次いで亡くなったという。
 
 母子3人の遺髪は、引き揚げの同行者となった人が日本に持ち帰り、当時健在だった俊一さんと美智子さんの父親らが、引き取りに出かけたという。
 
 俊一さんが亡くなった知らせが届いたのは、正さんの記憶では、終戦から3年を経た48年ごろのことだった。骨箱が送られてきて、母親の願いで箱を開けると「山本俊一霊」と書かれた木札だけが入っていたという。
 
 厚労省の調査によれば、ソ連イルクーツク州第7収容所特別野戦病院で46年3月13日に敗血症で亡くなったとのことだった。
 
 山本家は、俊一さん死亡の知らせを受け、二男の故・治郎さんが翌年、現在山本家を守る文子さん(84)と結婚して家を継ぎ、俊一さんと妻子の葬儀を営み、墓石が建てられたという。
 
 正さんは「遺骨も帰らぬ人が多い中で、64年ぶりとはいえ、妻子の眠る墓に戻れる兄は幸せです。三男の私とは18歳離れ、自宅であった兄の結婚式の思い出しかありませんが、大変うれしく思っています」と話している。
 
 また、文子さんも「俊一さんは仏間にかかる遺影でしか知りませんが、自宅そばに墓を移設したばかりで、この時期に戻ってこられるのも不思議な縁と感じています。生まれた家の見えるところで、ゆっくりと家族一緒に眠ってほしい」と話していた。
 
 
写真=山本家の仏間にある俊一さんの遺影。ようやく遺骨が戻ってくる
 

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