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両丹日日新聞2009年1月 1日のニュース

いにしえの赤い社よみがえる 国重文・島田神社(1)

0101simada01.jpg■造営された500年前 室町時代の姿に■
 いく度かの改修と500年の風雪で姿を変えてきた神社が、造営当時の形に戻されて新しい年を迎えた。国重要文化財、福知山市畑中の島田神社。「平成の大改修」が3年度にわたって行われ、本殿の改修が昨年末に完成。「新たないにしえの姿」で、初詣での人びとを迎え入れる。
 

■江戸、昭和に続く平成の大改修■
 
 「平成の大改修」で造営当時の姿を現した島田神社。これまでに何度かの修繕が行われ、そのたびに少しずつ姿を変えてきた。
 
 現存する社殿が造営されたのは室町時代。柱と柱をつなぐ貫(ぬき)と呼ばれる部分に、文亀2年(1502)に建立されたことを示す墨書が残っている。
 
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 当時の屋根は、正面から見ると軒先が横一文字の「流れ造り」だった。それが江戸時代の改修で、正面中央部を盛り上げた「唐破風(からはふ)」になった。安土桃山時代から江戸時代にかけて神社仏閣で流行した装飾性の強いデザイン。丹波・丹後地方では江戸時代後期に広まった。
 
 「江戸の大改修」が行われた時期は定かではないが、鳥居のそばにある灯ろうに文化6年(1809)の文字がある。大規模な境内整備がされた際に奉納されたものと考えられ、江戸の大改修は本殿建設から300年後との推測が成り立つ。
 
 木造建築物は築後150年から200年で大がかりな修繕が必要とされ、300年後だと、かなり傷みが進んでいたはず。この時に、本殿を包み込む覆屋が設けられ、屋根の軒を縮め、屋根ふき材が取り払われている。以後200年、屋根の無い状態が続いた。

 次の大改修は「昭和の大改修」。昭和9年(1934)、無格社から村社に昇格することになり、それにふさわしい境内に整備する必要から拝殿が設けられた。併せて覆屋が建て替えられ、本殿の屋根も覆屋に合わせて切り詰められた。もとの屋根の大きさが分かったのは、今回の大改修に併せ本殿基礎部分の発掘調査が行われたからだった。
 
■発掘調査で鎌倉時代の基壇も■
 
 大地からは、様々なことが分かる。この発掘調査では、現存する本殿の本来の姿が分かっただけでなく、島田神社そのものに関する大きな発見も相次いだ。まず地表部から約20センチ掘り下げた所で、現在の基壇(石積み)より一回り小さい基壇が見つかった。同じ場所から、鎌倉時代まで使われていた黒っぽい土器(瓦器=がき)の碗(わん)が出土。文亀2年より300年ほど古い鎌倉時代に、別の社殿が設けられていたことが明らかになった。一角には更に古い時代のものと思われる、土と石で組んだ祭祀(さいし)跡も見つかり、創建は平安時代にまでさかのぼる可能性も出てきた。
 
 発掘調査では、ほかにも注目を集める発見があった。掘り下げた地層から、火をたいた跡が見つかった。
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 社殿の床下や柱に煤(すす)が付いていることから、露天ではなく、本殿の下で火をたいていたことが分かる。社殿の床下から煤が見つかった例は、ほかに綾部市と豊岡市に各1例あるのみで、調査、修繕監修にあたった府教育委員会文化財保護課は「ほかに全国では聞いたことがなく、きわめて珍しい」という。火床は御神体の真下にあたる位置に残っており、何らかの宗教儀式が行われたと考えられるが、それがどのようなものだったのかは、今後の研究を待つほかない。
 
 
写真1=大改修を終え500年前の姿に戻された島田神社本殿
写真2=2007年3月、遷座式を行いご神体を移してから工事が始まった
写真3=地表を掘り下げると一回り小さい基壇と火床が出てきた。解体修理だからこそ発掘調査ができた
 
 

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