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両丹日日新聞2006年4月 5日のニュース

夜久野の元紺屋で江戸後期の藍瓶見つかる

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 福知山市夜久野町の元紺屋、中川静子さん(76)方でこのほど、古い藍瓶(あいがめ)が見つかった。市内での発見は2例目で、夜久野では初めて。藍文化の研究を続ける福知山藍同好会の塩見敏治会長(71)は、約200年前の江戸時代後期に製造されたものと推定している。

 藍瓶発見のきっかけになったのは同市立原の元紺屋、公庄家に保存されていた藍玉取引帳。このなかに中川家が明治時代、徳島の藍問屋で藍玉1俵を購入し、陸水運で入荷した記録が残されており、塩見会長が夜久野町の藍文化について研究を深めた。

 上、中、下夜久野の村史や郷土史を頼りに調べた結果、江戸時代末期に同町域に10軒の紺屋があり、そのうち1軒が中川家と分かった。同家を訪ねて調べると、母屋の軒下に伏せてある大きな瓶が見つかり、形、材質や付着物などから藍瓶と断定した。

 藍瓶は上部が直径70cm、深さ70cmのすり鉢状で、容量は1石(180リットル)。ひび割れもなく、今でも使える状態で残っていた。陸運と水運を通じて運ばれたとみている。同家は代々庄屋を務めたあと、江戸時代末期から明治時代まで3代にわたって紺屋を営んでおり、150年ほど使われたと考えている。

 塩見会長は「当時、藍瓶は小規模な糸紺屋で8本、大紺屋で16本ほど埋められ、4本ごとに中央に火床を設け、藍液を保温していた。丈夫だが、紺屋を廃業後に畑などで使った例が多く、原形をとどめて残っている例は少ないと思う。23年ほど前に天津の元紺屋で発見して以来になる」と説明する。

 中川さんは「瓶は、紺屋の屋敷跡の木屋に転がっていましたが、きれいな状態で残っているので捨てるのも惜しく、長年軒下に置いていました。藍文化を伝えるうえで貴重な資料と聞いており、塩見さんに託して保存をしてもらいます」と話していた。


写真:見つかった1石入りの藍瓶


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