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両丹日日新聞2006年3月 1日のニュース

ここはお国を何百里 真下飛泉の資料室を移設整備

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 多くの人々に歌い慕われた「戦友」の作詞者で知られる真下飛泉(本名・瀧吉)の出身地・福知山市大江町河守に「真下飛泉資料室」が新たに移設整備された。貴重な品があるため通常は閉めているが、完成を記念して4、5両日は開館する。

 旧大江町が、郷土の偉人の功績を後世に残そうと、貴重な遺品や資料を保管・保存する施設として整備を進めていた。これまで旧町総合センターに開設していたが、老朽化したため、今回訪れるのに便利な北近畿タンゴ鉄道・大江駅が入る町地域振興会館2階(町総合会館隣)に移した。

 飛泉は1878年(明治11年)10月に同町河守新町に生まれた。府尋常師範学校に入り、卒業後は京都市内の小学校で長年教師を務めた。学生時代から小説を書き詩歌を詠んだ。優れた教育者であり文学者、また京都市議会議員選挙でトップ当選を果たした政治家でもあった。しかし、病に倒れて49歳の若さで亡くなった。

 多くの国民が口ずさんだ「ここはお国を何百里 離れて遠き満州の」と歌う「戦友」は、日露戦争の最中の1905年(明治38年)に発表したもので、三善和気作曲で爆発的にヒットした。

 新設の資料室は、鬼瓦を展示する部屋を仕切って設けた。広さは約41平方m。額装や展示ケースに入れて書簡や歌集、原稿など貴重な遺品、資料約60点を常設している。

 飛泉が兄に贈った「戦友」の歌詞をつづった直筆の掛け軸、歌集、詩集のほか、師事した詩歌雑誌「明星」主宰者の与謝野鉄幹に添削してもらった朱入りの短歌などの貴重な品が展示されている。

 また、教育者として自ら刊行した教育論の月刊雑誌「児童本位」も。この中には飛泉の交友の広さを物語る西村伊作や相馬御風といった著名文化人も寄稿している。さらに与謝野鉄幹の妻・晶子や教育者・新渡戸稲造と見られる人物から届いた直筆のはがきなどが屏風(びょうぶ)に仕立てられている。

 資料は町が収集したものもあるが、大半は親族から寄贈を受けた。現在書簡など697点を所有し、その中の約60点を展示しているという。

 希望者は2、3日前に福知山市教委生涯学習課=電話(24)7065=に連絡すれば、無料で見ることができる。4、5両日は午前9時から午後5時まで開館する。


写真:飛泉の貴重な遺品や資料を紹介する資料室


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