両丹日日新聞12月7日のニュース
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新福知山駅舎06年春開業へ近く着手 城と踊り笠イメージの外観

 福知山駅付近連続立体交差事業と周辺土地区画整理事業を進めている府と福知山市は6日、新しいJR福知山駅舎と南北駅前広場の計画概要を発表した。高架駅となる新駅舎は、福知山踊りで使う編み笠と福知山城をイメージしたデザイン。駅南側には旧福知山機関区で使われていた転車台を置いた公園を設け、さらにSLを置くことで「鉄道のまち・福知山」をアピールする。新駅舎は今月中に着工し、06年春の開業をめざす。

 同事業は府が事業主体となり、97年秋に着手した。鉄道で分断されている市街地の南北を一体化し、交通渋滞を解消する狙い。高架化に伴って踏切9カ所が撤去され、さらに幹線道路4路線が交差する。JR線の高架切り替えは06年春だが、KTR線を含めての事業全体が終わるのは09年春になる予定。総事業費350億円を見込んでいる。
新駅舎の完成予想図
 計画によると、新駅舎は現在の駅舎の約60m南側に移る。プラットホームの防風スクリーンが福知山踊りの編み笠、外壁は福知山城をイメージしている。半世紀前に全面改築された現駅舎の倍の約3400平方mの広さで、プラットホーム3面5線からなる高架下に、改札口やコンコースができる。中2階に乗り換え通路を設ける。市交通バリアフリー基本構想に基づいて各ホームとは階段だけでなく、エレベーターと上下方向のエスカレーターで連絡。南北の広場に自由に行き来できる幅20mの通路もつくる。

 09年春の完成をめざすKTR福知山駅舎はJR駅舎北側に一体となった形で建設される。プラットホーム1面2線の高架下に改札口などができる。JR線とは中2階で連絡する。エレベーター、エスカレーターも設置する予定。

 駅に隣接する高架下の東西合わせて約3400平方mには商業施設の建設を計画している。

駅南北とも広場と公園 駐車スペースも設ける

 広場と公園はそれぞれ駅の南北につくる。広場は北側が約7000平方m、南側が約5000平方m、北側の1号公園は3000平方m、南側の2号公園は2400平方m。

 広場には北側に一般車両22台分、南側には10台分の駐車スペースを確保し、それぞれ20分間の駐車は無料にする。両広場にはそれぞれタクシー9台分の待機場所も設置。北側には将来的にリフト付き自動車など福祉関連自動車の駐車スペースを確保する考えもある。バスは北口が民間バス、南口は高速バスと高校のスクールバスの乗降場にする予定。

 1号公園はイベントが開ける広場にし、2号公園には元からある転車台に本物のSLを設置する予定で「鉄道のまち・福知山にふさわしくしたい」という。あずまやなども設け、憩いの場にする。

 整備時期などは、南側広場がJR側の高架化完成に合わせて06年春の供用開始を見込む。続いて2号公園、北側広場、1号公園の順で完成をめざす。

 広場、公園の整備については市民参加型のワークショップを開催し、整備計画案を提示。福知山駅周辺整備室によると、7割程度は計画案を採り入れたという。

駅への進入口も変更

 マイカーによる福知山駅の進入方向が変わる。現在、ロータリー東側が進入専用、中川ビル前の西側が出口専用だが、KTRの高架化が完成する09年春の開業と同時に西側から進入できるようにしケヤキ通りなどから直接入れるようになる。バス、タクシーは出られるが、マイカーは東側から出る。駅前商店街(ききょう通り商店街)からも進入できる。


写真:新福知山駅舎の完成予想図。南北おなじデザインにする


人は石垣−城より人材 商議所永年勤続表彰式で旭堂小南陵さんが講演

 福知山商工会議所による永年勤続優良従業員表彰式が6日、福知山市のサンプラザ万助で開かれ、講談師の旭堂小南陵さんが「戦国大名の決断と成功例・失敗例」と題して記念講演した。職場のリーダーとして活躍する従業員たちを前にしての講演とあって、現代社会にも通じる戦国時代のリーダー像を分かりやすく聴かせた。

講演する小南陵さん 小南陵さんは戦国武将の中で武田信玄が一番好きだといい、その理由を「人の使い方がうまい。京へ上る途中で病気にならなかったら天下を取っていたのでは」と語り始めた。

 戦国武将は次々と大きな城を築いたが、信玄は、ない。家臣から進言されても「大きな城を作ると守りの姿勢になって、家来の動きが鈍くなる」と考えた。

 これに対して大きな城があったがために滅んだのが豊臣家。秀吉の時代には外交の道具として大きな大坂城の存在意義はあったが、冬の陣では「この大きな大坂城なら」と寄せ集めの浪人衆、淀君らが油断をしてしまった。

 代わりに信玄は「人は石垣、人は城」と、人材の登用と育成に力を注いだ。例えば武田の名軍師、山本勘助。最初は今川家に仕官しようとしたが、「見た目」重視の義元から相手にされず、「人物重視」の信玄からは長旅で汚れた姿のままでも、即座に召し抱えられ、「信玄公のためなら」と命をかけたエピソードなどを交えて、信玄の人材登用・配置手法を紹介した。

 この手法を学んだのが、徳川家康だった。「武田家滅亡後に優秀な家臣を多数抱え込んで、信玄の手法を聴きだしています。家康は三方原の合戦で信玄に大敗。命からがら城に逃げ帰り、そこからはい上がってきた。一流の人間は必ず一度は挫折をしている。挫折を知らない者は、大成しませんなあ」と説いた。


写真:武田信玄の人材登用手法を話す小南陵さん


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